「人類の前進と世界の幸福に、少しでも貢献したい」
そんなぼんやりとした動機で起業に関わってから、
だいぶ月日が経ちました。
未熟で若すぎた時分に、私は思い描いていました。
「世界はこうあるべきじゃないか」と。
「世界はこうなっていくのではないか」と。
けれども、現実は程遠いものでした。
リーマンショックや東日本大震災、
コロナウイルスの流行やAIの登場。
SF映画の世界でしか起きないと思っていたことが、
今や日常です。
どんな想像力をもってしても、
未来をありありと描くことは不可能。
予想することすら、意味がないことなのかもしれません。
そう、世界は変わっていくものです。
「では、自分はどうだろう」
ふと、そう問うてみたことがあります。
寄与や貢献は、それほどできていないかもしれない。
それでも社会と直接つながる会社に関わったことで、
できることは増えた。
だから世界を変える力が、少しは身についたかもしれない。
できることは、まだまだ残っているはずだ。
自問の末に気付いたのは、新しい私でした。
新しい価値観で、新しい景色を見ている自分自身。
それは間違いなく、「成長」と呼べる変化でした。
変わり続ける世界の中で、足掻き続けたこと。
そうして手にした成長は、私の財産です。
今でも、やりたいこと、やるべきことが、いくつもあります。
どうしてか、いつでも、いくつも、あるのです。
それはおそらく、私が変わり続けているからだと思います。
この世界がそうであるように。
そして私は思うのです。
なんと豊かな人生なのだろうか、と。
さて、リスペクトの話をしましょう。
20余年で、私たちの事業領域やサービスは何度も転換しました。
時には、時代や社会の要請に応えるために。
時には、私たちが理想とする社会像を実現するために。
時代を先取りしすぎて鳴かず飛ばずだったもの。
競合に追いつかれて競争力を失ったもの。
ニーズを掴んだのに大きくできなかったもの。
さまざまな失敗を経験してきました。
それでも私たちは、組織として着実に成長してきました。
理由はシンプル、「人材」という中核的競争資源が
成長したからです。
私たちは「成長」というものを、こう捉えています。
不確実な未来へ挑戦し、大きなリスクを取ることで
得られる変化。
しかしこの国に漂っているのは、それを否定するような
空気感です。
リスクを回避しすぎる性向や、不確実を極端に忌避する雰囲気。
私にはそれが、挑戦の機会を奪い、
成長の芽を摘んでいるように思えます。
世界は、どうしたって、変わっていきます。
あなたが放っておいても、あなたが何もしなくてもです。
だとすれば、こう考えてみるのはどうでしょう。
「自らが世界を変える資源になってやろう」と。
「世界はどうせ、変わるのだから」と。
そう思えるなら、成長はきっと、
あなたの人生を豊かにするはずです。
どうせなら、自分自身に要求を課し、役割と責任を背負おう。
どうせなら、徹底的に考えて、集中して、大量に行動しよう。
どうせなら、それらすべてを、仲間とともに楽しもう。
そう決意し、行動した先に待つのが、あなたの成長です。
不確実な未来へ挑戦し、大きなリスクを取ったあなたは
間違いなく、より多くの選択肢を手にし、
より多くの機会に恵まれるでしょう。
そんな生き方は、あなただけでなく、
あなたの周りをも幸せにすると思います。